2002年3月改訂版

治療的クローニングの倫理問題と意思決定プロセス

霜田 求

(大阪大学大学院医学系研究科助教授、医の倫理学)


 はじめに

 胚性幹細胞(ES細胞 Embryonic Stem Cells)による治療は、重い疾患や損傷を負った組織や臓器の治療方法として有望視されている。それは、中絶胎児の組織や成体幹細胞(造血幹細胞、神経幹細胞など)を用いた幹細胞治療とともに、再生医療(Regenerative Medicine)の基本的な手法である。ES細胞を作製するためにはその原材料としてヒト胚が必要であるが、不妊治療(体外受精)による余剰胚あるいは「治療的クローニング(Therapeutic Cloning)」と呼ばれる体細胞核置換(somatic cell nuclear replacement)によるヒトクローン胚の何れを用いるにしても、入手が容易ではない。また、とくにES細胞を摘出した後に胚を「廃棄」することをめぐっては、倫理的に問題があるとの指摘がなされてきた。しかし治療的クローニングによって産出された胚は、それを作製するため体細胞核を提供した人(重い臓器疾患に苦しんでいる)に必要な臓器に分化した後、拒絶反応の心配なくその人に移植することができる。現在のところ細胞や組織の段階にとどまってはいるものの、「移植用臓器不足の解消」と併せて、この方法は将来の医療の中核となることが期待されている。

 しかし他方、この方法で作製された胚を女性の子宮に戻すことで、体細胞核提供者と同一DNAをもったヒト個体を産生することも可能となる。これは「生殖的クローニング(Reproductive Cloning)と呼ばれるもので、1997年に公表されたクローン羊ドリーと同じ手法である。周知のように、このクローン技術を人間に適用することをめぐっては世界中で激しい議論が繰り広げられている。本稿では、多くの国で禁止する方向に向かっている生殖的クローニングではなく、むしろより尖鋭な論争の的になっている治療的クローニングに焦点を当てて、その倫理問題を整理した上で、こうした問題を論議する公共的な意思決定プロセス(Decision Making Process)の在り方について簡単に論じてみたい。(1)

 

 1 治療的クローニングに対する四つの主要な見解

 

 治療的クローニングに対する主要な見解の布置状況は、他の生命医療倫理のテーマ、例えば人工妊娠中絶や安楽死のそれと類似している。すなわち、①生命価値中心の見解による強い反対意見、②社会的分脈に定位した見解による規制の要求、③異なった様々な見解よりも公共の利益を優先させる立場、④当事者の選択の自由を尊重するリベラリズムの原則に基づく強い賛成意見、が互いに対立・緊張関係を形づくりながら併存するという具合である。それぞれの見解のなかで提示される論点をめぐっても、どの論点が最も重要なのか(したがって十分に議論されるべきなのか)、その論点に対してどのようなスタンスをとるべきなのかについて熾烈な論争状況にある。そこでまず、主要な見解の中で主張されているいくつかの論点をまとめておこう。

 

①生命価値中心の見解…宗教グループ

a) ES細胞を臨床に適用することについては慎重に考慮する必要があり、人間の尊厳に対する責任感覚が強く求められる。人間は受精の瞬間から人格として尊重され処遇されねばならない。(もちろん人工妊娠中絶も原則として許されない。)

b)それゆえ、ES細胞を作製するために生きたヒト胚を産出したり用いたりすることは道徳的に不当である。なぜなら、ヒト胚はそれ自身固有の生きる権利を持ち、ES細胞を摘出した後にそれを「廃棄」することは、その権利を侵害することになるからである。(2)

 

②社会的分脈に定位する見解…バイオテクノロジーに反対する市民運動

a) ES細胞には奇形腫などの異常病態を発生させるというリスクがあり、また核移植技術によってES細胞を作製するときには、成功率が低いために多くの受精卵が必要になるといった技術上の難点もある。

b) ES細胞研究(および実用化)は、バイオテクノロジー産業に商業的利益をもたらす。(それが公共的な政策決定に無視できない影響を及ぼす。)

c)治療的クローニングは生殖的クローニングにつながりかねない(いわゆる「滑りやすい坂道(slippery slope)」)し、新しい優生学の拡張を招くおそれがある。

d)治療的クローニングによらない幹細胞治療、とくに成体幹細胞はすでに細胞や組織の移植治療にめざましい成果を上げており、ES細胞による治療に比べてもはるかにコストが低い。(3)

 

③公共の利益を優先させる見解…公的な委員会による報告書

a)人間の病気・疾患や細胞によるそれらの治療についての理解を増すために、(体外受精ないし細胞核移植によって作製された)胚を用いて行われる研究は、関連する法律または指針──例えば英国「ヒトの受精および発生についての法律」(1990年制定)──の規制の下で、認められるべきである。なぜならそれは、組織や臓器の疾患を抱えた多くの患者にとって多大な便益をもたらすから。

b)治療的クローニングによって作製された胚を女性の子宮に戻す生殖的クローニングは、多くの人が倫理的に受け入れがたいと考えていることにより、刑法により禁止すべきである。法律による規制がある限り、「滑りやすい坂道」論は現実的とは言えない。

c)胚の「身分」は「たんなる細胞の集合」とも「生きる権利を持った十全な人格」とも見なされるものではなく、「多くの人に利益をもたらす可能性を内包した潜在的な人間」として、研究目的に使用されることは正当化可能である。(4)

 

④当事者の選択の自由を尊重する見解…生命倫理学者、研究者

a)生殖クローニング、治療的クローニング、幹細胞治療、そして幹細胞技術はいかなる人にも危害を加えるものではなく、多くの便益をもたらすものである。自由、人格への尊重、そして医療の進歩が人々にとって共通の利益である以上、これらの新しい技術の開発をやめさせるのではなく、促進することが必要なのである。

b)生殖クローニング(クローン人間作製)に反対する論拠、例えば「人間の尊厳」論や「滑りやすい坂道」論などは受け入れがたい。なぜなら、クローン人間はその「オリジナル」(細胞核の提供者)とは異なる環境で育つ者として、独立した別の人格として尊重されねばならないし、生殖の自由や不妊治療の一つの方法としてそれを選ぶ権利があるというリベラリズムの原理によって正当化されるからである。

c)唯一倫理的に懸念すべきなのは、この技術のために用いられる未受精卵の提供者である女性への搾取という問題である。しかしそれも、代理出産や通常の臓器提供と同様の規制や立法措置により対応することができる。(5)

 

 これらの見解の中で、治療的クローニングに対する賛成/反対、あるいは許容条件として提示されている理由や根拠は、倫理的にその妥当性ないし正当性を問うことができるものであると言える。しかしそれらのうちどの論点を優先して議論すべきなのかは決して自明ではないし、それゆえ何れか特定の理由や根拠によってただちに決定を下すことができるということにはならない。そこで、議論すべき論点とそこで提起されるいくつかの問いを整理することにより、議論の枠組みを輪郭づけることが必要となる。

 2 いくつかの論争点と関連した問い

 

 次に、治療的クローニングの当否を検討するに当たって、その議論で少なくとも排除されてはならない倫理的問いを挙げておこう。

 

1)胚の道徳的身分(moral status)…生命の始まり、人格性、尊厳、目的と手段

(ア)ES細胞を摘出するために胚を産出することは倫理的に受け入れられるのか。

(イ)胚は「人格」として、「生きる権利ないし尊厳を持った主体」として尊重されるべきなのか、それとも「たんなる細胞の集合」として利用可能な対象なのか、あるいは「潜在的人間」として慎重な配慮が求められるものなのか。

(ウ)胚を用いた研究は医学の進歩および重病に苦しむ患者にとって多大な便益をもたらすものであるから、「目的自体」としてではなく「手段」として利用することや、利用価値のなくなった時点で「廃棄」することは、倫理的に正当化可能か。

 

2)卵子提供する女性の搾取

(ア)胚作製のための卵子を女性から提供してもらう場合、法律や公的な指針に基づいてインフォームド・コンセントを取得することで十分なのか。

(イ)提供者となる女性の身体的なリスクや負担を考慮すれば、提供者に金銭的な報酬を供与すること、あるいはそれをビジネスとして行うことは正当化されるのではないか。

(ウ)逆に、金銭の介在が「生命の商品化」ではないかという批判を回避するためには、あくまで自発的な無償提供であるべきなのか。

 

3)技術的な難点と他の選択肢の可能性

(ア)胚に成長する成功率の低さや腫瘍を増殖するというような治療的クローニングに伴うとされる技術的な難点を、どのように評価するのか。

(イ)技術的な難点を理由にこの方法から手を引いて、卵子または受精卵提供を必要としない(より有望との見方もある)成体幹細胞(adult stem cells)を用いる方法に公的資金を投入すべきなのか、それともES細胞の研究を続ける中で技術的難点を克服し、治療法開発を進めるべきなのか。

 

4)生殖クローニングと治療的クローニングの関係

(ア)生殖クローニング(クローン人間づくり)はそもそも倫理的に容認可能なのか、もし容認可能である/ないとしたら、そのことは治療的クローニングの倫理的妥当性を顧慮する上でどのように影響するのか。

(イ)生殖クローニングと治療的クローニングの間には、合理的ないし論理的な区別があるのだろうか。

5)個人の選択の自由、多大な便益、社会による規制の釣り合い

(ア)リスクを覚悟して新しい技術を試みようという個人の自己決定は、法律や公的な指針によって禁止できるのか。

(イ)多くの人に便益を与えることが期待される新技術に対して、社会はどこまで規制すべきなのか。

 

 これらの問いのほとんどは、絶対的な確実性をもって、あるいは全員一致する形で答えることが困難なものである。もちろん、技術的な問題や技術の乱用を防止するための規制などについては、合意を得ることは可能であろう。しかし、「胚の道徳的身分」といった生命の価値や生命観に関わる問いは、合意に達することはもちろん、妥協にたどり着くことさえほとんど不可能である。それにもかかわらず、医療および医学施設での研究や臨床応用をコントロールするために、公共的な決定は必要不可欠である。そこで、公共的なレヴェルでの意見形成と意思決定のプロセスのために必要な条件を吟味しなければならない。

 

 3 意思決定プロセスをめぐる論点

 

 最後に、治療的クローニングに関する指針や法律を策定する手続きの中で、考慮すべき論点をいくつか指摘しておきたい。これらの論点は、その実施条件などについて公共的な政策決定を必要とする他の生命医療倫理問題にも当てはまるものと思われる。(6)

 

a)公共的な決定にとって、胚を用いた研究や治療に賛成するか反対するか、何れかのための「合理的かつ論理的ないし科学的な証明」(厳密かつ堅固な根拠として)によって結論を下すことは必ずしも必要ではない。

b)リスクと便益を考量する考え方や功利主義的な見解の倫理的妥当性が問われねばならない。「人々の欲求や選好の最大化」という指標は、しばしば公共政策を決定する際に重要な機能を果たすが、それ自体で直ちに決定の根拠となりうるかどうかについては議論の余地がある。「未知のリスク」の扱いや「明確なデータに現れない社会的影響」などについても慎重に検討する必要があるだろう。

c)価値観の多様性と個人の選択の自由を尊重するリベラリズムの原則を前提とする限り、民主主義的な意思決定システムを採用することが不可避であるが、そのことはたんなる多数決で十分だということを意味するわけではない。意思決定のあり方、すなわち民主主義そのものの質が問われているのであり、議論する論争点の優先順位、意思決定システムの参加者の構成、議論の公開性などがつねに議題として確保されねばならない。

d)通常の意思決定システム(例えばアメリカの国家生命倫理諮問委員会(NBAC)など)とは別に、当のシステムの公正さや妥当性を厳密に注視し精査するレヴェルの審議会のようなものが設置されるべきである。

 

 治療的クローニングをめぐる倫理問題は、社会的文化的、あるいは宗教的な価値観という実質を伴った多様な見解(=倫理観)それ自体にあるよりもむしろ、競合し対立し合うこれらの倫理観をいかに議論していくのかという意思決定のあり方のうちにあると言えるのではないだろうか。そしてそれは、この問題を含め先端医療技術をどのように受け止めるのか、その受け止め方に映し出される私たちの社会(=関係の取り結び方)の仕組みそのものを問うことでもある。

 

 

〈注〉

(1)  日本では2001年6月より施行された「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」でヒト胚の胎内への移植(=クローン人間づくり)を禁止し、治療法開発のための基礎研究については「ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針」(2001年9月告示)および「特定胚の取扱いに関する指針」(2001年12月告示)に定めるという対応がとられた。両指針によると、ヒトクローン胚の作製(日本では「治療的クローニング」という語は使われない)およびそれによる研究は厳しく規制される。体外受精の「余剰胚」を含めた「ヒト受精胚」の取り扱いについては、総合科学技術会議の生命倫理専門調査会で2001年12月よりさらに検討が加えられている。なお、この問題を扱った日本語文献としては、大朏博善『ES細胞――万能細胞への夢と禁忌』(文藝春秋 2000)、森健『人体改造の世紀――ヒトゲノムが切り開く遺伝子技術の功罪』(講談社ブルーバックス 2001)、粥川準二『人体バイオテクノロジー』(宝島社新書 2001)などがある。

(2)  Juan de Dios Vial Correa & Elio Sgreccia (The President & The Vice President of Pontifical Academy of Life, The Roman Curia): DECLARATION ON THE PRODUCTION AND THE SCIENTIFIC AND THERAPEUTIC USE OF HUMAN EMBRYONIC STEM CELLS, Vatican City, August 25, 2000, http:// www.vatican.va/roman_curia/. cf. John R Meyer, Human embryo stem cells and respect for life, Journal of Medical Ethics 2000;26.

(3)  Mae-Wan Ho(Director Institute of Science in Society, London):The Unnecessary Evil of 'Therapeutic' Human Cloning, Third World Network, 23 Jan. 2001, http://www.twnside.org.sg/title/evil.htm

(4)  Department of Health(UK), Stem Cell Research : Medical Progress with Responsibility, Jun.2000, http://www.doh.gov.uk/cegc/. cf. The Royal Society, Therapeutic cloning: a submission by the Royal Society to the chief medical officer's experts group, Feb. 2000, http://www.royalsoc.ac.uk. National Bioethics Advisory Commission, Executive Summary: Ethical issues in human stem cell research, Sep. 1999, http://www.bioethics.gov.

(5)  Udo Schuklenk (University of the Witwatersrand, South Africa) & Richard Ashcroft (Imperial College School of Medicine, London):The ethics of reproductive and therapeutic cloning (research), Monash Bioethics Review 2000;19(2), http://www.wits.ac.za/bioethics/genethics.htm.

(6)  cf. Calum MacKellar, Totipotent and differentiated cells: an ethical difference for therapeutic cloning ?, Biomedical Ethics vol.5, 2000, no.3 . Sarah Sexton, How to talk about cloning without talking about cloning: public discourse in the UK, Biomedical Ethics vol.5, 2000, no.3 .


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