死亡胎児の組織利用をめぐる倫理的問題

森 芳周
(大阪大学大学院文学研究科博士後期課程、臨床哲学)

 

はじめに

 本稿では、再生医療の分野で有用性が注目されている死亡胎児 [1] 組織の利用の現状とそれに関連する倫理的問題を検討する。胎児の神経、血液などの幹細胞は難病の治療に大きな効果を発揮し、また胎児組織の移植は成人間の移植よりも拒絶反応も起こりにくい。胎児組織の移植が問題となりはじめたのは、1980年代後半に、パーキンソン病患者への移植による治療効果が報告されてからであるが、それ以前にも胸腺移植などの利用は行われていた。また最近では、始原生殖細胞の供給源としても死亡胎児の利用は注目されている。

しかし、胎児組織の利用は、中絶胎児も供給源の一つであることから、中絶の是非も問われることになり議論は複雑をきわめている。人工妊娠中絶についてはいくつかの条件を満たせば法的に許容されるというのが欧米や日本での解釈であるが、倫理的な問題として許容されるかどうかという問題には活発な議論があり、また仮に人工妊娠中絶が法的、倫理的に許容されるとしても、その立場から中絶胎児を利用できるという主張へはいくつかのハードルが存在する。中絶後の利用を前提とした妊娠や胎児組織の商業的売買が起こる可能性、中絶胎児の利用の容認が人工妊娠中絶における意思決定や数の増大などに影響を与えること、それからインフォームド・コンセントをめぐる問題などが指摘されている。欧米においては、1980年代から90年代前半にかけて死亡胎児の組織利用に関するガイドライン等が作成され、日本においても欧米を追うかたちでガイドラインが作成されつつある。

本稿が課題とするところは、死亡胎児の組織利用にいかなる問題が存在するのかを検討することである。まず死亡胎児組織の利用の現状を第1章で概観する。この問題が中絶をめぐる議論と密接に関連していることから中絶の是非と組織利用の倫理的問題を第2章で扱う。ここでは中絶に関する道徳的議論の決着がつかないにもかかわらず、組織利用を容認するということがいかなる解釈によるのかを検討する。そして、第3章では死亡胎児の組織利用の法的規制の状況を見る。第4章では、同意能力を欠いた胎児をドナーとする際の倫理的な問題、特にインフォームド・コンセントのあり方に大きな問題が発生することを指摘する。

1 死亡胎児組織の利用の現状

 ここでは、死亡胎児組織がどのように利用されているのかを簡単に見ておく。日本においては、死亡胎児の利用に関して、国としてのガイドラインは2003年になってようやく打ち出されようとしているが、利用そのものは以前から行われてきている。[2]1970年代には死亡胎児の胸腺細胞を免疫不全患者に移植する治療が20件以上あったという。胸腺とは免疫機能の中枢を担う器官であり、胸腺の欠損や発育不全により先天性免疫不全症が起こる。そこで免疫システムを正常に戻すためにその治療として死亡胎児の胸腺を移植するのである。また死亡胎児の肝臓移植も行われていた。3ヶ月から5ヶ月の胎児期には、造血細胞は肝臓に位置しており、白血病などの患者にこの胎児の肝臓を移植するという方法がある。しかし、この方法に関しては、むしろ成人からの骨髄移植の方が効果的で、レシピエントの危険も少ないという。さらに糖尿病治療のためにインシュリンを生産する胎児の膵臓組織の移植も行われている。[3] またこの他にポリオワクチンの生産などにも死亡胎児の組織が利用されてきた。また網膜疾患に対して、胎児網膜細胞の移植も行われている。[4]

 死亡胎児の組織利用の問題が大きくクローズアップされたのは、パーキンソン病の患者の脳に胎児の脳神経細胞を移植するという治療が行われ始めたときである。パーキンソン病は神経伝達物質であるドーパミンが欠乏し、手足の震えや体が硬直して動かなくなる症状が出る。このパーキンソン病患者の頭部4箇所に穴を開け、胎児の脳細胞を注入し、旺盛な増殖力を持つ胎児の細胞が定着すると、ドーパミンを作りはじめる。コロラド大のカート・フリード教授のグループによってこの治療法はすでに70例ほど試みられている。ただしこの治療法に関しては、生着率や増殖率が低く、その効果に疑問があるとも言われている。

 また、日本では1990年代後半に大阪大学の研究チームによって、変形性膝関節症の治療として胎児の軟骨細胞を移植するという方法が倫理委員会に申請された。変形性膝関節症とは、関節のクッションとなる軟骨がすり減り、関節の炎症や骨の変形が起こる疾患で50歳以上に多く見られる。しかし、この研究に関しては倫理委員会で「社会的コンセンサスの成熟を待ちたい」ということで認められなかった。[5]

だが、1998年に京都大学では倫理委員会の承認を得て関連病院から6件の提供を受け、また1999年には大阪大学は国立大阪病院と共同研究を始め11件の提供を受け、幹細胞の培養などを行っている。[6] そして2001年には国立大阪病院と慶応大学などの研究グループが死亡胎児の神経幹細胞を培養し脊髄損傷のサルに移植し、運動機能を回復させるという実験に成功したという報告がなされた。先に見たように死亡胎児由来の神経細胞をパーキンソン病の患者の脳に移植するという治療法は実施されていたが、その場合、一人の患者に5~10体の死亡胎児が必要であった。しかし、90年代後半からの再生医療の発達によって、死亡胎児の神経幹細胞を培養し、一人の死亡胎児の神経幹細胞から複数の患者への移植が可能となろうとしている。[7]

 従来のパーキンソン病の治療や網膜移植などは一人の患者に対して多数の胎児の組織が必要であり、そこに量的な問題や倫理的問題が指摘されてきた。また複数の胎児組織を用いることによる免疫学的な問題もある。最近の再生医療では、より少数の胎児の組織を培養し増殖させることにより問題をクリアしようという方向に向かっている。しかし、これらの再生医療の発達により胎児組織の有用性がクローズアップされ、逆に胎児組織の必要性も増してきているように思われる。

 だが、中絶によって得られた胎児組織を利用する場合には中絶が前提とされていることから、1980年代、90年代にアメリカなどではその倫理的問題が問われた。また、自然流産などによる胎児の提供に関しても、同意をどのように得るのかという問題も残されている。次章では、中絶の是非をめぐる議論の流れを簡単に紹介しておきたい。そしてそれに続く章で、アメリカと日本を中心に死亡胎児の組織利用についてどのような規制が設けられているのかを検討することにする。

2 中絶をめぐる倫理的問題と胎児組織の利用

 多くの胎児組織が死亡胎児から得られているという事実が、死亡胎児の組織利用の問題を複雑にする。そこで、中絶の是非についての倫理的な議論をまず検討しておく。胎児は人間か否か、胎児はいつから人間になるのかという議論と、胎児は人格を持つかどうかという議論について、中絶容認派と中絶禁止派の立場を見ることにする。

 中絶容認派で有名なものに、トゥーリー、ウォレンらの議論がある。トゥーリーによれば、「人間である」ということと「人格である」ということは分けて考えられ、生物学的な概念としての人間だけでは、生存する権利を有するとは言えず、道徳的概念としての人格すなわち自己意識を持つことではじめて生存する権利を持つといえる。トゥーリーのこの議論によれば、自己意識を持たないものは生存する権利を持たず、胎児や生後すぐの子どもは人格とは認められず、中絶や嬰児殺しは肯定される。またウォレンは人格を社会的意味において考えた場合に、中絶の禁止は女性の自己決定権の侵害であり、中絶は肯定されるべきだが、嬰児殺しは道徳的に容認されえないという立場を取る。

 中絶禁止派の最右翼がいわゆるカトリックの立場であろう。人間の生命は受胎の瞬間から始まり、胎児の発育のどの時点においての中絶も生命を奪うことになる。したがって中絶は道徳的に正当化されえない。ここでは直接的な中絶は禁止されるが、妊娠以外の原因により母親の生命が危険にさらされる場合に、治療的行為により中絶が必要となる場合は中絶が認められるという例外をおくこともあるが、妊娠が原因で母親の生命が危険にさらされる場合では、中絶は容認されないという立場をとるようである。ただし、妊娠が原因で母親の生命が危険にさらされるような場合には、中絶が許容されるという立場がキリスト教の教えに反しないという立場もある。[8]

さて、それぞれの立場において、死亡胎児の組織利用の倫理的問題を考えるとどのような結論に至るだろうか。死亡胎児の組織利用のうち自然流産などを除いて、胎児組織の入手には人工妊娠中絶が前提とされている。まず中絶容認派の立場に立つならば、胎児組織の利用が中絶を前提にしているとしても、胎児組織が中絶によって得られるということによる倫理的障害は生じないだろう。中絶に倫理的障害を認めないからである。しかし、そうして得られた組織の利用においても、倫理的障害がないといえるだろうか。中絶容認派の議論はそもそも中絶胎児の組織利用を前提とはしていない。はじめにも述べたように、中絶後の利用を前提とした妊娠そして中絶、あるいは胎児組織の商業的な売買が起こる可能性があり、妊娠と中絶が女性の身体に何らかの負担を与える限り、女性の人格あるいは権利への侵害が起こりうる。[9] したがって中絶が道徳的に容認されるとしても、必ずしも中絶胎児の組織利用が道徳的に容認されるわけではない。

 また、中絶が道徳的に許容されないという立場をとりつつも、胎児組織の移植は容認されうるという立場の主張も存在する。この主張について、D.G.ジョーンズは、ナチによって処刑された人の組織サンプルを利用することの是非を例に出して検討している。[10] そういった組織を利用することはナチとの道徳的共犯関係に身をおくことになるという批判があるが、しかし、今日行われている研究は明確な倫理的原則に基づいており、1930年代および40年代の研究とは関係ないので、非倫理的に得られた資料であっても利用できる。当時と今日ではまったく異なった倫理的枠組みの中にあり、非倫理的に得られた資料の利用によって、今日の倫理的枠組みが損なわれることはない。そして中絶胎児の組織利用も、同様の論理において容認される。つまり、中絶は道徳的に悪であるとみなされるが、中絶の決定と組織利用の決定が分離されていることを保証する保護措置(safeguardsが適切であるかぎり、二つの手続きは道徳的に別々のものと考えることができる。

したがって、中絶を道徳的に容認するか容認しないかという問題とは別に、胎児組織の利用を道徳的に容認しうるか容認しえないかという問題が発生するのである。重要なことは、中絶をめぐる倫理的な議論において中絶容認派と中絶禁止派が一致しうる可能性がないことであり、その上で胎児組織の利用をめぐる倫理的問題が議論されているということである。中絶胎児の組織利用を行う上で、もっとも現実的な解釈は、中絶が道徳的に容認されうるか、されえないかの問題は留保し、中絶の道徳的問題とは分離したものとして組織利用の問題を考えるというものであろう。これはジョーンズの解釈に近いものであり、中絶の決定と組織利用の決定の分離を保証する保護措置が要求される。

 次章では、この保護措置に当たる各国の法、ガイドラインなどを検討し、どのような仕方で死亡胎児の組織利用に規制を加えているのかを見ることにする。はたして、中絶の是非についての結論を留保した上で、胎児の組織利用がどのように認められているのだろうか。そして、中絶と胎児の組織利用の分離は可能なのだろうか。

3 死亡胎児の組織利用に関する規制

 ここでは特にアメリカと日本の規制に絞って議論をしたい。まずアメリカにおいてであるが、死亡胎児の利用に関する法規制には1968年に成立した「統一死体提供法(Uniform Anatomical Gift Act」がある。ここでいう死体には死亡胎児も含まれ、親の一方が同意をして、もう一方の親が拒否しないならば死亡胎児を研究目的や治療目的に使用することができる。ただし、胎児組織の入手先は死亡胎児のうち、自然流産あるいは子宮外妊娠(spontaneously aborted fetuses or ectopic pregnancyによるものだけを容認し、中絶胎児については認めないという州もあった。[11] 1988年には中絶胎児組織を用いた移植研究には連邦予算を出さないとの決定がくだされている。しかし、クリントン大統領の就任後の1993年に、中絶胎児組織の利用に対しても連邦予算の拠出が認められるようになった。

 アメリカにおけるこのような判断の揺れは、中絶禁止派の共和党レーガン、ブッシュ大統領と中絶容認派の民主党クリントン大統領の間で起こるものであり、中絶と胎児組織の利用を互いに独立した問題とは捉えられえないということを示している。

 日本では、母体保護法において、一定の条件を満たした場合にのみ中絶が認められており、妊娠4ヶ月以上の死亡胎児については死体解剖保存法が適用され、12週未満の死亡胎児については医療廃棄物として廃棄物処理法が適用される。そして日本産科婦人科学会の1987年に出された会告では、研究目的での死亡胎児の臓器などの利用を認めている。しかし、移植目的や移植のための培養などについて統一した見解はない。[12] 死体からの臓器や組織の摘出は、角膜・腎臓移植法によって眼球と腎臓の摘出が容認されていた。[13] また臓器移植法の成立によって、生前にドナーとなる意思が示されている場合にのみ臓器の摘出も可能である。その他の組織については法律ではなく、組織移植学会によるガイドラインがあるだけである。このガイドラインでも胎児組織については触れられていない。組織移植学会のガイドライン作成には、臓器移植法の運用に関するガイドラインにおいて、法令に規定されていない臓器を死体から摘出してはならないという規定があるが、組織の摘出・移植は対象外とされ未規定であったという経緯がある。[14]

現在、厚生労働省の「ヒト幹細胞を用いた臨床研究のあり方に関する専門委員会」において、「ヒト胎児細胞を用いる臨床研究に関する指針」が審議されている。2002年末に出された中間報告によれば、死亡胎児のうち中絶胎児についてもその組織利用が容認されるという。[15]

4 ドナーとしての胎児

 ここでは死亡胎児の組織利用に関する倫理的問題を扱うが、胎児の道徳的地位あるいは中絶の是非について統一した見解を持つことができない現状では、中絶の是非や胎児の道徳的地位という問題の決着を留保し、どのような条件の下であれば死亡胎児の組織利用が容認されるかという問題に対する回答が検討されることになる。

 以下では、死亡胎児の組織利用の問題を移植用臓器、組織提供の問題としてその倫理性を考えるにあたって、生体からの移植および死体からの移植における手続きとの比較を行い、そこから胎児の臓器・組織提供にどのような問題があるのかを検討する。[16]

4-1 生体からの移植
 生体腎移植や骨髄移植は日常的に行われており、道徳的な要件を満たしている限り容認されている。この要件としては次のようなものが考えられる。①他に、より効果的な処置の手段がなく、②レシピエントの利益がドナーの負担よりも大きく、③ドナーあるいはドナーの代理には移植に際して十分なインフォームド・コンセントが与えられている。このうち要件①②については、生きている胎児からの器官や組織の移植にも適用しうる。

しかし問題は要件③のインフォームド・コンセントである。まず第一に胎児は同意をすることができない。さらに代諾(代理同意、proxy consent)の場合、中絶という出来事によって、代諾の道徳的妥当性が損なわれる可能性がある。つまり胎児の代理となる母親(両親)は中絶の判断をすることによって、胎児の利益を代表する者ではなく胎児を害する者となっている。そのようにふるまう母親(両親)が、胎児をドナーとすることの代諾を行うことが許されるのかどうかという問題が起こる。アメリカで1993年以前は中絶胎児の研究利用に制限がつけられていたのにはこのような理由もあった。現在、日本で作成中の指針に関して、中絶胎児と自然流産による死亡胎児は区別されてはいない。これはインフォームド・コンセントの概念を損なうような問題であると思われる。また、日本では生体移植において、理解能力、同意能力が弱いものとしての未成年者をドナーとする場合は、本人の意思と法定代理人の同意が必要である。この点と胎児をドナーとすることを比較すると、同意能力を絶対的に欠いており、組織を提供することにより利益を受けることのない胎児をドナーとすることは、より厳格な規制が必要であるように思われる。

4-2死体からの移植
 死体からの移植の場合、生前にドナーとなる意思が示されているか、または遺族が提供に同意を与えた場合には、死体からの臓器や組織の摘出が許される。アメリカでは、死亡胎児から得られた組織の利用は、成人の死体から得られた組織の利用と等値とみなされる。先に述べたように、これは統一死体提供法によって規定されている。親の一方が同意をして、もう一方の親が拒否しないならば死亡胎児を研究目的や治療目的に使用することができる。

 死体からの移植と死亡胎児からの移植を比較した場合には、特に日本においては、死亡胎児からの臓器の摘出の容認は大きな問題を引き起こすように思われる。主な臓器の摘出は脳死移植法に基づいており、同法では15歳未満の子どもは臓器ドナーとなることはできない。また臓器移植法では15歳以上の場合でも、本人の意思表示と遺族が臓器提供を拒否しないという二重の制限を設けている。それにもかかわらず胎児組織の摘出を容認し、それが両親の同意でのみ行われることは、臓器移植法の同意原則を損なうことになる。

おわりに

 死亡胎児の利用にあたって、ドナーのインフォームド・コンセントが決定的に欠如しているという大きな障害が存在する。そもそも死亡胎児組織の提供において求められるインフォームド・コンセントは、母親の同意のみかそれとも代諾が必要なのか。インフォームド・コンセントは自己決定能力そして人格という概念と深く関わっている。そしてこの問題は胎児の道徳的地位の問題へと帰っていく。胎児に人格を認めるか認めないかという問題は中絶の是非において行われていた議論である。だが、胎児組織利用の倫理的正当化は、胎児の道徳的地位の問題についての結論を留保し、中絶の道徳的議論から適切に分離されたところでのみ、打ち立てられうるはずであった。結局のところ、両者の議論は分離できるものではなかった。また法的側面から胎児組織の利用を検討するにあたっても、同意能力のないものへの同意原則をもう一度検討する必要がある。脳死からの臓器移植の際に行われたような慎重な議論が胎児組織の利用においても行われるべきであり、脳死者のような事前の同意が胎児においては不可能であるのだが、だからこそ胎児がより弱い立場にあると認識し、より一層慎重な議論がなされてもよいはずである。したがって、死亡胎児の組織利用を道徳的に容認できるといいうるためには、あまりにもその根拠が弱いように思われる。

〈注〉

[1] 「死亡胎児」とは、流産、死産、中絶によって死亡した胎児であり、「中絶胎児」というよりも広い意味が含まれている。ただし、死産、自然流産の胎児の組織を人に移植することには危険性も指摘されており、中絶胎児の組織の方が医学的に有用性が高い。

[2] 毎日新聞20021115

[3] McCullagh P., The Foetus as Transplant Donor: Scientific, Social and Ethical Perspectives, 1987, pp.81-91.

[4] その他に細胞バンク(http://www.jhsf.or.jp/bank/cell.html)には胎児由来の細胞として、線維芽細胞なども登録されている。

[5] 『別冊宝島Real019号 操作・再生される人体!』廣済堂、2001年、67

[6] 朝日新聞2002年8月5日

[7] 朝日新聞20011211

[8] 中絶の議論に関しては次の文献を参照した。今井道夫、香川知晶編『バイオエシックス入門』(東信堂、1995年)、H.T.エンゲルハート他『バイオエシックスの基礎』(加藤尚武、飯田恒之編、東海大学出版会、1988年)。

[9] 例えば、大量の胎児組織を得るために組織的に女性を妊娠させ中絶させるというようなことは、仮に中絶が道徳的に容認されるとしても、女性の人格と権利をひどく侵害するものであり、道徳的に問題があるのは明らかである。

[10] Jones D.G., ‘Fetal neural transplantation: Placing the ethical debate within the context of society's use of human material’ in Bioethics,1991, 5.1, pp.23-43.

[11]  Mahowald M.B., ‘Placing Wedges Along a Slippery Slope: Use of Fetal Neural Tissue for Transplantation’ in Clinical Research, 1988, 36, pp.220-222.

Mahowald M.B.,Silver J., Ratcheson R.A., ‘The Ethical Options in Transplanting Fetal Tissue’ in Hastings Center Report,1987, 17.1, pp.9-15.

[12] ただし、日本産科婦人科学会は20011215日に再生医療研究を想定して、追加解説を出しており、倫理委員会の承認を得れば胎児組織の提供も可能としている。ただ1987年に出された会告は胎児組織の利用については再生医療を視野に入れているわけではなく、あくまで胎児、新生児の健康保持を目的とした研究利用を容認していたものである。

[13] 大谷實『医療行為と法〔新版補正第二版〕』弘文堂、1995年、218-225

[14] 日本組織移植学会「ヒト組織を利用する医療行為の倫理的問題に関するガイドライン」、『日本組織移植学会雑誌』第1巻、第1号、2002

[15] この専門委員会の出した指針案について20021225日に民主党と社民党の女性議員から質問状が出され、中絶胎児細胞の幹細胞臨床研究への利用について次のような問題が指摘されている。専門委員会の指針が基礎研究には適用されず基礎研究での利用に拍車がかかること、中絶の意思決定にも影響を与える可能性があること、胎児組織の闇取引や金銭授受を伴う受け渡しの現状についての調査が必要であること、提供者の女性へのインフォームド・コンセントにおいて試料の品質管理のため遺伝子解析や感染症歴、既往症などへの同意が本当に可能か不明であること、日本においては深い議論がなされていないこと。また専門委員会の構成についても再生医学研究を推進する立場の研究者が委員長も含めて4名も入っていることも批判している。この質問状については、次のURLを参照。http://www.mi-net.org/rights/others/ikensyo021224.html

[16] 生体からの移植、死体からの移植との比較については前掲のMahowald 1988を参照。


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